優和出産 11時間の死闘  

平成11年6月23日午後2時 自宅→病院

昼寝から目が覚めた2時頃、かすかに腹痛を感じた。予定日をすでに10日過ぎていたのでとうとう陣痛か!時間を計ってみると既に5分おきになっていた。痛みが弱いのでどうしようと思いつつ、とりあえずシャワーを浴びた。痛みが変わらず弱く、しかし5分おきなので一応病院に電話連絡。すぐ病院に来てくれとのことなので、入院の支度をしておじいちゃんの車で病院へ。状況を看護婦さんに説明すると、「痛みを測定します」と言って分娩室に入った。お腹にベルトのようなものを巻き、パッチのようなものを挟み込む。測定の機械に子宮の収縮のグラフが記入される。しばらくその状態で計っていると先生が来て「痛みが弱いわね。本当ならこの辺までもっと針がふれるのよ」この辺とは今の倍くらいの位置である。「5分間隔なんですけど・・・」「あんまり痛くないでしょう?」「はい」「子宮は2センチしか開いていないわよ。初産はまだかかるからいったん家に帰ってまた来てください」「えっ..

午後3時30分 病院→自宅

病院を出た車の中で、急に痛みが増してきた。動いたのでお産が進んだらしい。いままで味わったことの無い激痛。陣痛のときは動けないので痛みの無いときに家に入った。今日は平日なので旦那はいない。陣痛が始まったことを聞きつけておばがやってきた。「寝ても立っても座っても痛いのどうすることもできないしね。まだまだだよ」「はぁ」「がんばってね

本当に痛い。大体最初は間隔が長いはずなのに、私の場合は最初から5分間隔だ。その分余計に痛い。会社の人が”腰をバットで殴られたような痛みだよ”と言っていた。その通りかもしれない。殴られたことは無いが。痛い。痛い。痛い。きばらしにテレビを見る。真剣にテレビを見ていると少し気がまぎれてきた。でも痛い。ラマーズ法試してみるが痛い。そういえば講習会の時に”呼吸法により痛みが無くなるのではなくて、呼吸に意識を向けることによって痛みを和らげる”と言っていたことを思い出した。痛いものは痛いのである。

母親がやってきた。「腰をさすってあげる」しばらくさすってもらったが、その分腰に意識が集中して痛みが強まる気がしてきた。「もういい。大丈夫だよ。夫が帰ってきたら病院に連れていってもらうから」「じゃあ、とりあえず帰るね。しっかりね

夫には病院に行く前に連絡をしていた。あいにく今日は忙しくて「成るべく早く帰るから」とのこと。まだなのかい。早く帰ってきて。早く産まれないかな。痛いだけでいきみたい気はしない。まだまだってことね。痛い。早く帰ってきて。痛い。

午後9時 夫帰宅 自宅→病院 陣痛室

遅いよ」「ごめんごめん」「もう我慢できないから、病院に連れていって」病院に電話で連絡し、すぐ車を出してもらう。座ることすらできないのでシートを倒して病院にいく。病院に着くと出産用の寝巻きに着替えた。再び痛みの測定。看護婦さんが子宮の入り口が何センチ開いているか計測すると「9センチですね」「よかった。また2センチとか言われたらどうしようかと思った。もう少しですね。」「全開(10センチ)になるまで陣痛室にいてください。痛みが激しくなったり、いきみたくなったら呼んでください。

時間がたつのが非常に遅い。夫は実家にもうすぐ生まれると電話を入れた。夫の実家にとっては初孫なので喜んでくれるかな。心なしか夫も緊張しているようだ。「腰さすろうか?」「ううん。何か話して」会社の話を始めた。じっと耳を傾けてはいるが陣痛が来ると痛くてだめだ。せめて音楽でもかかっていれば良いのに。家にいたほうがテレビを見ていたので痛みが弱かった気がする。しばらく我慢していたがナースコールを押す。「どうしました」「痛いんですけど」「すぐ行きます」 夫は外に出て子宮口の計測。「9.5センチですね」「はぁ」「もう少しですよ

だんだんいきみたくなってきた。いきまないようにすると子宮から出血?破水?なにか液体がでている感じがする。いよいよなのかな。ナースコール。看護婦さんが来て「じゃあ、いきんでみてください」「んん〜」「あ、頭が降りてきますね。じゃあ分娩室に移動しましょう

24日午前0時 陣痛室→分娩室

夫を残して分娩室に入った。分娩台。これが結構高い位置にあるのでお腹の大きい妊婦は大変だ。陣痛が来ていないときによじ登る。天井を見上げると天使が描いてある。右の方には保育器のような機械が置いてあった。足に布をはめ、お腹にまた計測器を巻く。機械はグラフと数字が表示されている。数字は赤ちゃんの心拍数と教えてくれた。なんか分娩台に上ったら一安心してしまい、痛みが和らいで息みたく無くなってしまった。「どうしました」「なんか珍しくて落ち着いちゃいました。」「しっかりね

先生が来た。「じゃあ、痛みにあわせていきみます。お腹を覗きこむようにこっちの方に息んでください。はい。上手ですね。」夜間なので院長ではなく臨時の先生なのだが、ちょっとおねえしゃべりでやさしい。院長先生は怖いので内心ほっとした。「はい息を大きく吸って。上半身を上げてお腹の方を見てゆっくり吐き出して。息んで。」「はぁはぁ。」「じゃあまた休んで」「まだですか〜」「もうすこしね。がんばって」あんまりはぁはぁやっていたので赤ちゃんの心拍数が下がってしまった。鼻に酸素のチューブをはめて「はい、ゆっくり深呼吸してください。」心拍数が上がってきた「もう大丈夫ですよ。きちんと呼吸してください

頭が見えてきましたよ」先生が看護婦さんに指示して旦那が分娩室に入ってきた。黒いかっぱみたいなものを服の上からかぶっている。私の頭の位置に来た「あと1回か2回息めば産まれますよ。さあがんばって」「んんん〜」「すこし切りますね。麻酔をしますから痛くないですよ」「ん。先生痛いです」「えっ。ごめんごめん。」「んんん〜」「はい。赤ちゃんが出てきましたよ。」「はぁはぁ」「男の子ですよ」しかし産声が聞こえてこない。あれ?っと思ったら先生が羊水を機械で吸い出していた。「んぎゃぁ。んぎゃあ。

平成11年6月24日午前0時56分 優和誕生

やった!産まれた!

はい、じゃあここをきってください。」夫がはさみでへその緒を切る。

出産後 後産

写真を撮ったあと、夫は再び外に出された。「胎盤を出します。力を抜いてください。」お腹の上を頭の方から足の方に順に押していった。「はいおしまいです」えっ。本で読んだら出産より後産の方が痛いという投稿もあったので覚悟をしていたのだが、拍子抜けしてしまった。「よいお産でしたね」先生が誉めてくれた。うれしい。「でももう一人で十分って感じですよ。」みんなで爆笑だった。(外で待っていた夫にも聞こえたらしくてなにがあった?と聞かれた)

切ったところを縫った。結構時間かけてたので丁寧にやってくれたかな。子宮の洗浄。で、おしまい。赤ちゃんは保育器の方に行ってしまった。病室で夫とお疲れさま。これからよろしくね。


 パパの感想

 産まれそうと電話がきた次の日から出張だったため、準備に時間がかかり帰宅が大分遅くなってしまった。家に着くと痛みが限界だったのか病院に行くと言われ着替えもする暇なく病院へ行くことに。

分娩室の隣の部屋で陣痛が強くなったら看護婦さんを呼ぶことになっていたのですが、結構な回数呼んだかも。(笑)

看護婦さんを呼んでも「まだまだですねぇ」と言って他の自分の仕事をしに出ていってしまう。「おぃおぃこんなに痛がっているのに何処に行くんだい」と心のなかで叫んでいた。痛がっている姿をみて看護婦さんを呼んじゃぇばと嫁さんに言って何回も呼んでしまった。。。看護婦さんも忙しそうだったけれど私がいるよりかは来てもらったほうがどうにかしてくれると思ったんですが何もしないで部屋から出てくるので「待っておくれ」と何回もしがみつきたくなってしまった。

分娩室に移って暫くしてから中に呼ばれたのですが、結構緊張するもんですねぇ。

私は産まれて直ぐに産声があがるものだとばかり思っていたのですが(ばか)、そうじゃないんですね。産まれても産声があがらなかったのであせってしまった。おまけに少し弱々しく聞こえたのでもっと不安に。ヘソのおを切るためにはさみみたいのを渡されて先生のいう場所を切ったんですが、これがまたなかなか切れなくて。切る前に「硬いですからね」と言われていたんですが思っていたよりも硬かったです。硬いゴムを切っている感じです。切ったときにビチョって手に血が飛んできて付いたのでまさか血が飛んでくるとは思っていなかったから、ちょっとびっくりしました。

病院では、産まれるまで性別を教えてくれない所だったので産まれる時は「どっちかな」とドキドキしていましたが、ボロンっとおちんちんがみえたときは、嫁さんが女の子がいいと言っていたのでがっかりするかなと思ったんですが無事に産まれたんで性別は関係なかったですね。

 いまでも優和が泣いている顔をみると産まれて最初にみた顔を思い出します。泣き顔はずっとかわってないです。

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